天草について
皆さまをここ、天草の地にお招きできること。TAYUTAとしてお迎えできることを、私たち一同、大変光栄に思っています。ここは、私たちの出発点でもあります。私たちが伝えたい価値観、TAYUTAらしい過ごし方を感じていただく最初の舞台は、天草の地こそ最適。その理由を、これからお伝えしたいと思います。
たゆたう島々に、心ひらく
日本列島の西端に位置し、点在する大小約120もの島々からなる、天草諸島。ここは、温暖な気候と水産物に恵まれ、訪れる人々を魅了し続けてきた九州有数の観光地として知られています。
まず特徴的なのは、複雑な地形が生み出す自然景観。緩やかに伸びる水平線に、たゆたうようにゆったりと島々が浮かぶ様は、悠久の時を感じさせてくれます。
天草地域は約1億年前、恐竜たちが住む陸地でした。その後、土地の隆起と沈降を繰り返し、海と陸の生き物たちが交差する生態系を形成していきます。そして約2000年前にアジア大陸で日本海が開き始め、九州の大地は横からの圧力を受けて、これまで堆積した地層がしわのように歪んで隆起します。これをケスタ地形と呼び、山々が波打つように見える天草の特徴的な景観を作りあげていきます。また、火山活動により良質な陶石の原材料が形成され、後に天草陶石として、陶磁器の原料に広く使われるようになります。
この地の人々が守り抜いた精神に、触れる
天草の歴史を語る上で欠かすことができないのが、キリシタン文化です。1954年に宣教師フランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は、全国へと広まりますが、江戸幕府の禁教令によって宣教師やキリシタンに対する弾圧が激しくなりました。上天草に生を受けた天草四郎(本名・益田四郎時貞)は、自由と平等、圧政からの解放を求め「島原・天草一揆」を起こしますが、幕府軍の反撃を受け、多くのキリシタンが殉教します。しかし、その後もその目から逃れるように“潜伏”しながら民衆レベルの信仰共同体を維持したキリシタンの活動は、天草の﨑津集落などにその跡を見ることができます。信者たちは仏教徒や神道信者に偽装して生活し、あわびやタイラギの貝殻の模様を聖母マリアに見立てるなど、漁村特有の信仰を生み出しました。キリスト教解禁後に建てられた教会やマリア像などは、天草観光の見どころのひとつです。
歴史が畳み込まれた品々を、
持ち帰る
天草の地が歩んできた歴史は、さまざまな民芸品や工芸品にも表れています。例えば、天草の民家の玄関先を飾る、しめ縄。これは、弾圧時代に家の住人がキリスト教徒ではないことを示すために、正月だけでなく一年を通して飾られていたものです。また、天草土人形の山姥は、マリア像の代わりとして礼拝されていたとも言われています。
天草陶石は、天草の稀有な地殻形成の産物であり、単体で磁器を作ることができる世界的にも珍しい陶磁器原料です。濁りのない白さが特徴で、全国の陶石生産量の8割を天草が占め、佐賀県有田や京都の清水焼などの原料としても出荷されるなど、資源として重宝されてきました。現在では、その素材の力に魅せられた作家たちが、独自の器や陶磁器品を生み出しています。
多様性を感じ、舌で味わう
私たちは、天草の地を訪れることで、これらの歴史や伝統を自ら体験できるだけでなく、地域の豊かさを食を通じて直接的に味わうこともできます。
珊瑚が生育するほど温暖で、イルカが通年見られる天草の海は、有明海と天草灘が出会う天然の漁場であり、鯛や平目、ウニ、アワビ、車海老など数えきれないほど海の幸が上がります。TAYUTAが位置する上天草市の樋合島は、古くから営まれる漁村で、近年は海水浴場やビーチアクティビティでも賑わってきました。ここが、天草の魅力を凝縮してお伝えできる場所だと、私たちは確信しています。
もし天草を訪れたことがない方は、ぜひ一度、この地を体感してください。きっと印象深く、思い出に残るご旅行になるはずです。そして、すでに天草を知っている方は、何度でもこのぜいたくを、味わっていただきたいと思います。